【真実】最初に物事の価値と意味をつかむ
今日もお疲れ様です。
さて、このブログでは英語を本能的に身につける方法についてお伝えすることがメインテーマです。さらに、英語だけではなくて他の科目、例えば数学や歴史や理科や色々な資格試験についても共通する、すんなりと身につく学び方についてお届けしたいと思っています。
それらの詳細についてはこれからじっくりとお届けしますが、それに先立って、何かを覚えるときに共通する心の持ち方について今日はお送りしようと思います。
この心の持ち方は、人が何かに取り組もうとした時の全てに共通することだと僕は思うのです。
それを抜きにして授業をする教師が何と多いことか・・・。
逆にそのマインドセットを何よりも先に行うことが出来れば、人類の学力はまさにうなぎ登りだと僕は思うのです。
■もくじ
1.最初に物事の価値と意味をつかむとは?
1-1.何のためか納得しないと人の本能には響かない
1-2.大半の授業は子供の本能には響いていない
1-3.最初の意味と価値の理解こそが本能を呼び覚ます
2.本能に根ざした学び方の方法
2-1.英語を学び始まる冒頭で価値と意味を知ること
2-2.小学校に入った子供にまず理解させるべきこと
2-3.大人になってからも冒頭の認識が肝心ということ
■まとめ
ちなみに、このことに気づいてからというものの、底辺高校出身の僕の英語学習は驚くべきスピードではかどりました。
そして、とうとうTOEIC980点、英検1級まで這い上がりました。
1.最初に物事の価値と意味をつかむとは?
何事を始めるにしても、それに取り掛かる前にその価値と意味を十分に理解しないと人間は本能としてそのことを覚える事ができません。
本能として覚えられないと全く身に付きません。
それこそ僕が子供の頃に教わった英語の授業と同じことです。
それでは、その対局になる物事の価値と意味の把握とはどういうことなのか、ここでご説明しましょう。
1-1.何のためか納得しないと人の本能には響かない
このような子供の訴えをよく耳にしませんか?
「何で数学なんてやらなきゃいけないの?普段の生活で微分積分なんて必要ねーじゃん!」
というようなことを。
これこそが真実を端的に表した言葉なんです。
つまり、整数の四則計算位なら世の中の9割位の人ができますよね。
しかし、微分積分は世の中の9割の人は出来ないか忘れてしまっています。
それは一体何故なのか?
答えは単純明快で、実生活に直接必要なこと=生きるために必要なことは理解しますし、そうではないことは理解しないということなんです。
しかし、ここで立ち止まって考えるべきことは、四則計算は必要で微分積分は必要ないということではないんです。
普段の生活に必要が無いとされた微分積分ですが、果たしてそうでしょうか?
確かに買い物の時に料金の計算に微分積分を使うことは無いですが、世の中のあらゆる物事を考える時のベースとして、数学の微分積分の考え方は色々と応用できますよね。限りなくゼロに近くという概念や、変化率という物事の切り口は何事にも通じることではないですか?
ということを、僕は全ての教師に授業を始める冒頭で徹底的に子供達に理解させるべきだと思うのです。それについてクラスの全員が理解するまでは先に進むなと言いたい。
教師なら子供の言う「意味ないじゃん!」という言葉を受け流してはいけませんし、大人になってからは「その意味と価値をまず理解すること」に徹底的に時間をかけるべきなのです。
自分がこれから取り組むことにあなた自身が価値と意味を見出せないまま取り組んでも、その結果は悲惨なものになってしまいますよね?
1-2.大半の授業は子供の本能には響いていない
あなたのこれまでの学校生活で受けた授業について思い出してみて下さい。
このように、授業の冒頭で「なぜこの勉強をするのか、なぜこんなことを覚えなくてはならないのか」ということをちゃんと説明してくれた先生って居ましたか?
おそらく殆ど居なかったと思います。
大抵の授業は教科書に書いてあることを教師が少し詳しく噛み砕いて説明して、あとは黒板に書かれたことをノートに模写するだけ。
黒板に書かれた文字をひたすらノートにコピーするだけの作業を強いられてもその意味については全く理解できない、という繰り返しだったという方が殆どかと思われます。
特に英語なんて、アルファベットの模写という感じじゃなかったですか?少なくとも私はそうでした。
本能に響かない英語、それは雑音でしかありません。
英語だけでなくそれは何事においても同じことです。
本能に響かないと全く意味が無いし身につかないのです。
1-3.最初の意味と価値の理解こそが本能を呼び覚ます
最近はよく「学級崩壊」だとか「教室が動物園状態」とか言いますよね。
それは今に始まった話ではなくて、僕の時代もそうでした。中学の時なんてヤンキーが教室の後ろで机の上に足を放り出してタバコをプカプカ吸っていましたし、たまに廊下を改造バイクが暴走していました。
しかし、そんな奴らも中学に入ったばかりのころはカワイイ小学校を出たばっかりの少年少女だったんですよ。ちなみに僕は高松にいた時にそのような友達が沢山居ました。僕自身はそこまではグレなかったですが、不思議と奴らとは小学校から心がつながっていましたね。
それは何故かと考えた時、やはり学校で一方的に教えられる内容について、教師たちからその価値や意味について説明が無いまま一方的に押し付けられているという事実に苛立ちを持っていたということです。
価値や意味の理解をさせないまま、一方的にテストの出来だけで判断されることについて、僕よりもはるかに点数の低かった彼らと彼女らは猛反発したということなんです。
考えてみれば当たり前のことで、いきなり何の説明も無く「裸で町内一周してこい」と言われて「わかりました」と言って本当にする人間がどこにいるんでしょう?
「あなたが裸で町内を一周することで、今瀕死の状態のあなたの10歳になる弟が喜んでくれて死の淵から蘇るかもしれない。」というような価値と意味を理解しないと、一体誰がこんなことするんでしょうか?
2.本能に根ざした学び方の方法
本能に根ざした価値と意味を最初に理解することの大切さ、おわかりいただけたと思います。
それでは具体的に、どのように行うことが必要なのか、英語学習やその他の場面での方法について考えてみたいと思います。
2-1.英語を学び始める冒頭で価値と意味を知ること
まずは、英語を学び始める冒頭において、自分にとっての価値と意味をしっかりと理解することが大前提ということを知って下さい。
それが理解できない限り、あなたの本能として英語は自分にとっては必要の無いことであると判断されるため、英語の学習は想像以上に難航するでしょう。まさに、教科書や参考書の字面を追うだけの右から左状態、エア勉強になってしまいます。
会社で昇進するため、海外赴任するため、大学や高校に合格するため、ハリウッドでデビューするためなど、あなたの人生=生命に関わると思えるくらいの強烈なモチベーションを英語学習を始める前にしっかりと発掘することが肝心です。それが無いと学習は成り立ちません。しっかりと時間をかけて、しつこいくらいにそのことを考え抜いてください。そして、その価値と意味をすんなりと飲み込むことが出来るまでは学習を始めてはいけません。
英語を本能として学ぶということの土台が築かれていないのに学習を初めても物凄く非効率で意味の無い作業になってしまうからです。
2-2.小学校に入った子供にまず理解させるべきこと
これは英語学習に限ったことではありません。
小学校1年生から義務教育が始まりますが、学習を始める前にそのことの価値と意味をしっかりと理解する必要性はここから始まっています。
もちろん6歳の子供に自分で考えろと言っても出来るわけがありません。
そこは教師の仕事となります。
6歳の子供でもわかるように、なぜ算数を学ぶのか、なぜ国語を学ぶのか、なぜ跳び箱を飛ぶのか、その価値と意味を極限まで噛み砕き、授業を始める前にその疑問を全て飲み込ませて消化させてあげるのが教師の役割です。
それが十分に出来ていないから「落ちこぼれ」と呼ばれる子が一定数出てくるのです。僕の中学校時代の同級生のヤンキーたちこそ、その役目を怠った教師の怠慢による最大の被害者であると思うのです。
「甘えるな」と思う方もいらっしゃるでしょうけど、僕は学校教育における学習の初っ端において、その価値と意味を理解させるということは120%教師の義務であると断言します。
逆にそれさえしっかりと飲み込ませてあげられれば、その後は慣性の法則のようにスーッと前に進んで行きますからね。
2-3.大人になってからも冒頭の認識が肝心ということ
大人になってからも基本は同じです。
ただし、大人になってからはそれを自分で行わなければなりません。自分自身で自問自答を繰り返して、英語を学ぶことの価値と意味を本能で理解しなければなりません。
それが完了しないままに学習を始めても、物凄くしょぼい結果しか出ないでしょう。これは英語に限ったことでは無く、何かの資格にしてもそうですし、ダイエットにも当てはまります。
ダイエットがいかに自分にとって必要なのか、このまま痩せないでいると命の危険があるという本能レベルでの動機を掘り下げてからでないと継続は難しいですし、継続しても効果はほどんど有りません。
繰り返しになりますが、英語に限らず何かを始めようとするならばその冒頭でしっかりとそのことの価値と意味を認識して素直に納得できることが必要なのです。
■まとめ
何かを身に着けようとするときは、その冒頭でそのことの価値と意味を理解することが肝心です。
始める前になぜそのことを身に着ける必要があるのか、そのことが自分の人生にとって不可欠である、という本能レベルでの動機付けがされないままに学習を開始しても結果は出ません。
これは小学校から始まる学校教育でも同じことです。子供たちに本能に根差した学習への動機づけをしてあげるのは教師の肝心要の仕事なのです。一方、大人になってからはそれは自分でしなければなりません。
何事も、自分でそのことの価値と意味を本能レベルで納得できるまでに向き合ってからでないと結果は出ないのです。