大学受験の思い出②【ひとりぼっちの戦い】
皆さん今日もお疲れ様です。
さて、今日は大学受験の思い出第二弾と言うことで、僕が挑んだ時のリアルな大学受験ワールドについて書きたいと思います。
とにかく1990年前後は今とは比べ物にならない位の過酷な受験戦争でした。
それは、僅か10代後半のいたいけな少年少女たちにとって、余りにも残酷な試練だったと思います。1浪は常識、2浪もありきたり、3浪でも納得、という世の中でした。
受験戦争とはよく言ったもので、まさに命の奪い合いと言っても過言ではない位の過酷な戦場だったのです。
■もくじ
1.大学受験の思い出②【ひとりぼっちの戦い】
1-1.偏差値教育の戦士
1-2.大学受験勉強とは泥沼の戦い
1-3.最後はひとりぼっちという恐怖
2.大学受験に勝つための作戦立案の重要性
2-1.自分の強みと弱みを把握すること
2-2.恥を捨てて解らなくなった所まで戻る
2-3.時間軸で課題を設定して着実に遂行する
■まとめ
ちなみに、この記事を書いた僕は、高校は首都圏の底辺校でしたが大学は下克上を遂げて誰でも知っている一流と呼ばれる大学に現役で合格したロスジェネおやじです。そんな僕が奈落の底から這いあがった時の勉強方法が参考になればと思います。
1.大学受験の思い出②【ひとりぼっちの戦い】
1989年からの3年間は僕という人間の性質を形成する大きな基礎となっています。なぜかと言うと、この世のモノとは思えない位の過酷な戦場に身を置いた時期だからです。
生きるか死ぬかの極限状態の戦場に丸腰のまま放り出され、戦場で調達した竹やりや石ころを拾っては自分の武器にして、次第にその武器が弓矢になり、火縄銃になり、そして核兵器に進化を遂げた極限状態での壮絶な体験は生涯忘れることはありません。
1-1.偏差値教育の戦士
ロスジェネ=ロストジェネレーション=棄民世代、現在四十代半ばから五十代初め位の世代は、中高生当時は偏差値教育の戦士とも呼ばれていました。
団塊ジュニア、第二次ベビーブーム、18歳人口が日本史上最多であり、それだけの人数を吸収できるだけの進学先は有りませんでした。そうすると、必然的に受験の競争倍率は異常なまでに上昇し、入試難易度の指標である偏差値も異常なまでに高騰したのです。
当時の大学入試の倍率は、20~30倍位は当たり前の世界でした。高校の1クラスが35人くらいだとすると、その教室から1人受かるかどうかという世界が当たり前だったのです。ちなみに現在偏差値50前後の難易度の大学・学部は、当時は偏差値60は無いと合格は厳しいという世界でした。ちなみに、現代においてマーチと呼ばれている大学群の難易度についても、当時は現代の早慶レベルであったことは間違いありません。
加えて言うと、当時の早慶は現代の東大京大レベル、当時の東大京大は現代には存在しない神の領域レベルの超難関だったと断言できます。
1-2.大学受験勉強とは泥沼の戦い
このように、当時の大学受験は熾烈の極みでした。そしてそこはさながら戦場、史上最悪の泥試合が繰り広げられていたのです。
現代においてはそこまでの過酷さは感じられませんが、大学受験が戦争であることには変わり有りません。自分の人生をかけて戦う場が受験であり、人生をかけるとは命を懸けることです。そのような過酷な戦場において綺麗ごとなんて一切通用するはずもありません。
そこはまさに泥試合が横行する泥沼の戦場なのです。表面上は他の受験生のことを良きライバル、共に励まし合い、などと小洒落たことをよく耳にしますが冗談じゃない!奴らは紛れもなく自分にとっての敵です。○○ちゃんも一緒に受かるといいね♡なんて上っ面のだけの言葉にはヘドが出ます。
大学受験とは戦争です。
ロスジェネおやじの心の中にはそのようにしっかりと焼き付いているのです。
1-3.最後はひとりぼっちという恐怖
しかもその戦争はひとりぼっちの戦いです。
戦場に行く前には心強い味方が付いてくれますが、最終決戦の場ではひとりぼっちで戦わなければなりません。当たり前のことですが、それが当たり前ゆえにその恐怖感は10代後半の少年少女にとっては耐えがたいもになるでしょう。
銃弾とミサイルが雨あられのように飛び交う熾烈な戦場にたった一人で乗り込むということ、少しでも気を抜けば吹っ飛ばされて絶命してしまいます。
しかしその戦場は避けて通ることができません。仮に何らかの方法で避けたとしても世間からは「落伍者」「半端者」「卑怯者」のレッテルを貼られてしまい、それは生涯背負うしかなくなってしまうのです。
2.大学受験に勝つための作戦立案の重要性
このような熾烈極まりない大学受験の世界ですが、どうやって乗り越えれば良いのでしょうか。
僕は何よりも事前の作戦立案が最重要であると考えます。
己を知らずして敵に向かうこと無かれ、敵を知らずして己に立ち向かうこと無かれ、これこそがこの過酷な戦争に勝つ方法なのです。
2-1.自分の強みと弱みを把握すること
戦うには武器が必要です。自分が今どのような武器を持っているのか。そして今どのような武器が足りないのか。それを把握することが肝心です。
考えてみれば当たり前ですよね。敵がステルス戦闘機と大陸間弾道ミサイル(ICBM)を持っているのにこちらは竹やりと石ころだけで立ち向かっても瞬殺されます。戦場に乗り込む前にはしっかりと自分の装備を確認して足りないものを補う必要がある、それこそが受験勉強の神髄です。
把握するために僕が一番手っ取り早いと思う方法、それは行きたいと思う大学の過去問を一度解いてみることです。もちろん高校に入ったばかりの段階で、例えば一橋の問題はまず解けないでしょう。しかし、もしかしたら国語は6割取れてしまったり、帰国子女なら英語は8割取れてしまったり、中高一貫校の子なら既に習った高校数学の範囲なら解けてしまったりと、自分の実力のデコボコが見えるでしょう。
そして、そのデコボコを平にして底上げをするという計画こそが効率の良い受験勉強なのです。・・・ちなみに僕の場合、国語の漢字の読み書きの一部以外全滅でした・・・。つまりスタート時点では全てが足りなかったと言うことがわかったのです!
(ここ笑う所ですから)
2-2.恥を捨てて解らなくなった所まで戻る
高1の時点で志望校(そこそこのレベル以上)の過去問を解いても大半の人が僕のような結果でしょう。しかし、それは当たり前だと思って気にしないでください。だって、大学受験勉強をこれから始めるんですから。
ちなみに帰国子女や中高一貫校の子供で、英語が思うように出来なかったり、先取りして学校で習ったはずの数学が出来なかったりしたらその部分は自分の弱点としてしっかりと認識してください。
そして次に、それぞれの科目の挫折した部分まで遡るというという確認作業をしてください。英語であれば中学の教科書を中3の最後のページから遡って理解があやふやなところを探し出す作業です。数学も同じです。国語であれば現代文なら漢字の読み書きを中3の教科書から遡り、古典であれば古文漢文がスムーズに読めるかという点に焦点をあてて遡ってみてください。理科と社会も自分の選択科目の部分について同様に遡って、理解があやふやな部分を探し出してください。ちなみに僕の英語の場合は、前にも書きましたが、中1の初っ端の部分まで遡る必要がありました・・・。
このように、まず最初に自分の土台となるべき学力の「デコボコ=バラつき」について細かく把握する作業をすることが肝心です。
2-3.時間軸で課題を設定して着実に遂行する
次に、この土台の慣らし作業、そして土台の底上げ作業の大きな時間軸を決めることが必要です。特に、最初の段階での土台のデコボコを慣らす作業は中学以前に習った事の復習がメインとなるので、あまり時間を掛け過ぎてはいけません。そうですね、僕みたいに中学英語3年分全ての場合なら、それを長くて3か月と期限を決めて集中して取り組みましょう。
そしてその計画の全体像をカレンダーに書き込んで時間軸をしっかりと把握しましょう。いつまでもダラダラ取り組んでもあっという間に受験本番になってしまいます。ですので、最初の学力の土台慣らしは長くて3か月、その後は土台の底上げ、最後は演習による実践訓練という大きく分けて3段階の時間軸を最初に設定することが肝心です。
ちなみに、第二段階の土台の底上げと最終段階の実践演習については後日別の記事でその詳細をお伝えしますね。
■まとめ
ロスジェネ世代の大学受験のことを考えると、今の大学受験は恵まれています。しかし、その本質は変わることはありません。大学受験とは命を懸けた戦争と同じ、受験生はひとりぼっちで戦う戦士なのです。
そんな泥試合が横行する過酷な戦争に勝つためには、戦場に乗り込む前の装備を揃えるところから開始することが必要です。そのためには、まず最初に行きたいと思う大学の過去問を解いてみましょう。出来なくてあたりまえ、そのことを知ることが大切なのです。そして、自分の武器を充実させるべくまずは学力の土台を固めるために各教科の解らなくなったところまで遡る作業をしてみましょう。
中学の教科書や場合よっては小学校の教科書まで遡ることもあるかと思いますがそれでいいんです。その作業を最長3か月くらいでやり切って、次は土台全体の底上げにとりかかり、それが済んだら最終段階の実践演習という流れとなります。
この流れを受験勉強にとりかかる前にカレンダーなどに書き出して、しっかりと自分で受験勉強全体の時間軸を把握することが大切です。